古都の宿「むさし野」と東大寺 Parts.2

2005/4/3(日) 小雨一時晴れ

東大寺

東大寺はあいにくのお天気にもかかわらず、さすがに参拝客が多いです。そして、桜が見事に咲いてました。

今回は特別に拝観させていただくということで、東大寺大仏殿副院主の橋本様より説明をいただきました。

このお話がとてもよくわかって、今まで何度か訪れたことがある東大寺ですが、「へぇ〜」と思うことがたくさんありました。ほんとに参加してよかったと実感できた1日でしたよ。八角灯籠

まずはこの【八角灯籠】(左の画像をクリックしていただくと大きく表示されます)ですが、東大寺が作られたときからのものだそうです。そして扉には音を出すものを持たれた菩薩様が彫られていて、さらには獅子も彫られています。それから、支えている柱の部分にはお経が彫られています。今でも見えますよ。今から約1250年も前のものかと思うと、感慨があります。

それから、大仏殿のほうですが、過去に2回焼失していて、現在のものは江戸時代に立て直されたものだそうです。規模も以前のものは横幅が今の1.説明を聞きます。5倍はあったそうです。

では、何故縮小されたか、それは江戸時代建築用材がなかなか手に入らず、大事な梁の部分の長さが足りなかったからだそうです。ちなみに奥行きは以前のものと同じだそうです。また、柱なども一本の木材がなかなか無く、寄せ集めたというと、ヘンですが、いくつも楔をかまして高い柱にしたそうです。そして瓦も枚数が少なかったそうです。

しかし、瓦の重みでたわんできたので昭和の大修理のときには、瓦1枚の重さを軽くして、以前の枚数にもどしたそうです東大寺屋根のしび。これは余談ですが、現在の大仏殿の瓦のなかにアラン・ドロンさん寄進の瓦がどこかにあるそうですよ。

次に、大仏殿の屋根にあるシ尾ですが、これは龍の尻尾を示していて、龍は水の神様ですから、その尻尾より下にあるということは水面下にあるということで燃えないという意味があるそうです。

それから、そのシ尾からシ尾の幅と真ん中にある屋根の端から端までと境内の石畳の端から端までの幅が同じなんですよ。とてもそんなふうには見えませんよね。東大寺正面

さて、いよいよ大仏殿の中に入るのですが、な、なんと、普通は上がれない台座のところに上げていただいて説明を聞きました。そう、一般のお客さんより一段上にいるのですよ。そしてここからの写真撮影は禁止でしたので、画像はありません。

ところで大仏さんは作られた当時、金メッキされていたのですよ。その証拠が後ろのほうの台座に残っていました。そして、この金メッキがどのようにしてなされたのか、今もってわからないそうで橋本さんを囲んで質問す。それから、近くに寄せていただいてわかるのですけど、蓮弁はつぎはぎだらけでした。これは作られた奈良時代、そして修復された桃山時代、江戸時代の修復のなごりなのです。これは近づかなくてはわからないものでした。それから蓮弁には3界の世界観や、当時のインドの世界観などが彫られていました。

あと、大仏さんの後ろにある後輪の仏様の顔は上に行くほど大きくなっているそうですよ。これは遠くから見てもちゃんとよく見えるように考えられたからだそうです。それから、大仏さんの頭の上の天井のマス目がなんと4畳半くらいの大きさがあるそうです。いかに大仏さんが大きいか。お顔が約5m、像高が約15mですからね。あと東大寺での集合写真、いろいろお聞きしたのですが。。。。。

皆さん、是非東大寺に行ってください。

聖武天皇が何故大仏さんを作ろうとされたか、とのようにして作られたかを知ると、また違って見えますよ。

とても判りやすく説明していただいた、副院主の橋本様ありがとうございました。東大寺の南大門(記念撮影をしました。画像をクリックしていただくと大きく表示します。)

クラブイベントとしてはここで解散となりましたが、雨もすっかりあがり、近くには博物館や二月堂、春日大社などいろいろ見るところがありますので、参加された皆様は古都の休日を十二分に過ごされたことと思います。318はお茶して帰りました。途中、氷室神社のしたれ桜がとてもきれかったです。

最後に、このHPページ制作にあたり画像を、BCOJ会員のY氏奥様よりいただきました。たいへんありがとうございました。

氷室神社のしだれ桜 しだれ桜2 奈良公園の鹿1 奈良公園の鹿2 東大寺近くのギャラリー喫茶